人間なんてのはそもそもそんなに大した生き物じゃ無いんやから、自給自足でもして食べて寝て、その辺散歩して生きて死んだらええねん。と、18歳の頃友人に言われた事がある。いや、正確には僕に向けて放った言葉ではなく、宙に放り投げられたようだった。行き先を失ったその言葉は僕と彼の間にふわっと停滞浮遊していた。その記憶が未だ僕の脳内にある。そう、自分の曲やピアノ、というか音楽は散歩のようなものなのかもしれない。気が向いたら自分にちょうど良いくらいのピアノを弾くような。もしそうだとすると、そこには僕個人の概念しか存在しないと思うのだが、はたして。最近良く思うのが、音楽もまた政治であるということだ。音楽と政治は昔から切っても切れない関係にあると思うがそうではなく、音楽にも政治にも「思想」という共通概念があることだ。そのもの自体は相容れない事が大半だが、思想を元に作られた音楽や歌で他者(観客、聴衆)を惹き込むという行動、聴衆が多ければ多いほどその音楽家の影響力も大きくなる。多くの人の心を動かす音楽家と政治家。もし例えば僕が散歩のように、でも思想を持ちピアノを弾いてそれによって他者の心を動かしたり、概念を変えたりする。動き方まで似てこなければ良いが、最近のいわゆる音楽シーンというか音楽家同士の繋がりが政党のように見えなくもない。良い悪いの話ではなく、自覚はしたほうが良いのかもしれないと思いつつ、散歩に出ようか。